image

昭工務店誕生ストーリー

昭工務店誕生物

ドーン!

 

手に鈍い痛みが走った瞬間

胸元に赤い鮮血

痛みが走った左手指先を見ると

左手中指先 爆発状態

やってしもたー!!

急いで救急車を呼んでもらい緊急手術

砕け散った左中指の第一関節は砕け散り残骸もなく

再生も出来ず第一関節から切断

手術終了・・・

 

 

今から20数年前

心の中には祖父の代から始まった大工の道に進む希望に満ちていましたが

高校卒業して工場に就職した板谷昭人

 

エンドレスに流れてくる部材のネジ締め作業

このままこの工場で俺の人生が終わるのか・・・

約一年半後、工場に見切りを付け

父親に大工志願!

 

思いもよらぬ答えが返って来ました。

うちの家系は大工家系でしたが父は長男ではなく次男ですので

分家に出た家でした。長男の(私から見れば本家の叔父さん)叔父さんが

不慮の事故で亡くなり、うちの父と祖父と弟の(私から見れば叔父さん)三人で板谷工務店を経営していました。

先代 左側祖父の一司郎その隣が父の司

意を決して大工志願!(親父もよろこぶだろーと思いきや)

『大工はやめとけ、きつい、汚い、危険の三拍子だ。今からの時代大工で

飯食って行くのは至難の業だ。

やめとけ~』

意外な父の反応で意気消沈

しかーし!

逆に

『よう~し、やったるぞー!』

幼い頃からトントン好き

お祭り大好き

小さい頃からチャレンジ精神旺盛、言い出したら聞かないタイプでしたので

反対を押し切って大工の道に進む事となりました。(実は工場の流れ作業が苦手だったんです)

早速、父の友人からご紹介頂いた隣町にある 朝清工務店(株)に弟子入り

建築の道に突き進んで行きました。

修行時代

覚悟を決めて入ったこの建築業界

いくら大工家系で小さい頃から父の働く姿を見ていたとしても

そう簡単に覚えられないのが建築

何度も親方、兄弟子に怒られることも多々ありましたが(怒られてばっかりで犬になりたいと思った時もありました)

現場の親方(分家さんと言って社長の弟)から

特に可愛がっていただき

大工のいろはを沢山教えて頂きました。

左は弟子の私 真ん中が現場の親方

今、あるのは社長はじめ、現場親方、

兄弟子さんがいたからと感謝しています。

現場の仕事ばかりではなく建築の勉強もやらなくては

と思い社長に頼みこみ、

夜間の職業訓練校木造建築科に入学させて頂きました。

週3日 夜7時から9時まで

月1回 1日授業

3年間

『ようし、3年間絶対に行き通したるーー!』(燃えてました)

当時の木造建築科入学者は約30人くらいいました。

同年代、年下、、再就職を建築にかけている風な叔父さん、さまざま人が学びに来ていました。

同業種で学びに来てると言うことで

仲良くなるのに時間はかからず

お互いの近況を報告しあったり

飲みに行ったり、旅行に行ったりで

本当に充実した三年間でした。

大工仲間 職業訓練校木造建築科の仲間達

しかも、

3年間、教壇の真ん前の席に座り続けた結果

卒業式で新潟県知事賞を頂く事が出来ました。

仕事と建築学問の両立で充実した3年間を

過ごす事が出来た事に

あらためて感謝したあの頃、

修行期間約4年で朝清工務店(株)を

卒業することとなりました。感謝、感謝でした。

新たなスタート

弟子、建築学校を卒業し、家系の板谷工務店に就職

実際には父の弟叔父さんに付く形で新たに

スタートを切りました。

父は一線引く形で現場に出たり

入ったりしていましたが(実は兄弟中が悪いんです)

実際には

父親とはあまり一緒に仕事はしたくなく、

たまに一緒に現場に入ると

職人気質が強い父とよくぶつかってました。

(ほんと疲れました)

 

設計事務所からの叔父の仕事は順調に

回ってましたので、

そこで現場応援に来ていた

地元の大工職人との新しい関係を築けたのは

本当によかったです。

このまま順調に現場仕事を家系の

板谷工務店でやっていくのかな~

(浅はかな考えでした当時)

帰ってきて3年目の冬に…

突然の設計事務所倒産

なんの前触れもなく

しかも2週間前に上棟したばかりの現場を

残しての元請け設計事務所の倒産

大変だ、これからどうなるのだろう

(内心初めてのことでワクワクドキドキしてました)

心配しても始まらない、

とにかく成り行きをじっと待つしかなかった

カンナ ノミ研ぎに明け暮れた日々

そして数日後

元請け先を無くした叔父から言われた言葉

お前はどこでも行っていいよ

(聞こえはいいけど事実上の解雇)

うわ~

これからどうしよう~

(今思えばこの瞬間が人生の転機だったんだなあ)

とにかく遊んではいられないので

地元に帰って来てから知り合った

先輩大工さんに雇ってもらい、

大工道具を自前のトラックに積み込み

 

大工ジプシー生活がはじまりました。

ひとつの現場が終わると、別の工務店、

建築屋に応援に行く生活

転々と渡り歩く大工生活でいろんな職人大工、

いろんな業者さんとの出会いがありました。

当然、お客様である施主様との出会い、

辛い事もあったけど

僕の大工人生の宝がまた増えた時期でありました。

感謝 感謝

そこで先輩大工さんに言われたのが

 

お前も独立してやりなさい!

巣立ち

自分で起業して工務店を経営!

その言葉で震えさえ憶えるほど燃える

情熱が出てきたのを覚えています。

よし、チャレンジ精神たっぷりの人生

やろう!やってみよう!

(内心どうなるか不安でしたけど)

『親は親

  自分は自分

   たまたま選んだ商売が一緒だった』

そう自分に言い聞かせて

自分の道を切り開いて行こうと決意しました。

名前からとった 昭 工務店

(よく ”あきらこうむてん” と言われますが

”あき” です)

トラック 初代あっくん号

よっしゃー!とは言っても

信用もない、資金もない、知名度もない工務店

どうやって生きて行けばいいのか不安先行の中

先輩大工さんに助けられて、

いろんな意味で勉強させていただき

一緒にハウスメーカーの下請け工事を

何棟も請負ったり、苦楽を共にして来ました。

今、ここにいるのも先輩大工さんたちのおかげです。

本当に感謝、感謝です。

そして

徐々にではありますが仕事の依頼を

受けることが出来ました。

最初の仕事依頼は手すり一本

初めてご用命

いただいたのは年配の方からの

手摺取付工事

手摺取付はちゃちゃっと終わりましたが、

その後の会話が楽しかったです。

ものすごく感謝されてお祖母ちゃんが

『ありがとう、ありがとう』って何回も言ってくれて

とても感動したのを覚えてます。

初めての元請け新築工事

初めての元請け新築工事

を幼馴染の親友から

依頼を受けることが出来ました。

今までの馴れ合いの仲間じゃなく、

大金が掛かった大仕事を

親友に頼まれたとき、うれしい反面、

重い責任が伸し掛かって来ました。

現場 大切な親友の家

数々の現場を

こなしてきて大工の腕には自信があったけど

いざ、自信の元請け工事となると勝手が違う、

責任も重大であります。

『やるしかない!』

既存の建物を解体する当日、

ご家族と一緒にお酒と塩を撒き

沢山の思い出を振り返り、

友人の目に涙がこぼれるのを見た時に

精神誠意頑張ろう、この家族のために頑張ろう

と覚悟を決めました。

真夏の暑い中、家族の思いを込めて作り上げました。

先輩大工さんにも応援してもらい、

業者さんにわがまま言ったりした時もありましたが、

見事に完成することが出来ました。

親友と熱い握手を交わし

お父さんお母さんも満足していただきました。

若輩者の僕に依頼の了承を得てくれた

お父さんお母さん、ありがとう

感謝でした。本当にありがとうございました。

大事故発生 左中指第一関節切断

順調に仕事が入るようになり、忙しい毎日でしたが、

カナダ桧を売りに展開している某中堅建築屋の

大工木工事を請け負う事となりました。

在来軸組工法の純和風住宅を得意としている会社で

当時、100坪クラスの住宅をバンバン受注

していたおかげで

ひとつの物件の大工工事が終わると、

生も近も尽き果て、

放心状態の中、休む間もなく次の現場が

待ち構えている状態(馬車馬のように働かせられる)。

そこから抜け出せない状況になっていました。

自分で看板上げたのに

自分の仕事を後回しにする本末転倒状態(つらかった~)

期限に追われ、賃金をたたかれ、

どこまでも責任を負わせる毎日に

疲れ切っていた時、事故は起きました。

期限に追われ放心状態のまま行った木材の加工作業中

万能機と言う木を削る機械に

指をダイブさせてしまいました!

ドーン!

手に鈍い痛みが走った瞬間

胸元に赤い鮮血

痛みが走った左手指先を見ると

左手中指先 爆発状態

やってしもたー

急いで救急車を呼んでもらい緊急手術

砕け散った左中指の第一関節は砕け散り残骸もなく

再生も出来ず

第一関節から切断で手術終了。(チーン)

 

傷の痛みより親から頂いた体の一部の

指を失った心の痛みの方が辛かったです。

そんな時家族、友人の励ましが何よりの薬でした。

凧合戦チーム風神会 地元仲間で作った凧合戦チーム風神会

仲良し三姉妹

しょげてばかりいられない

現場が気になってしょうがなく

一週間は入院と言われたところ

先生に頼み込んで3日で退院させてもらい

また万能機のスイッチを押して作業にかかりました。

スイッチを押す前に機械に向かって

『宜しくお願いします!』と一礼、

緊張しました。

指先の包帯から血が滲んで来たのを見ながら、

『何やってんだ俺、こんな事続けていると

そのうち命落とすなぁ』って思いながらも、

でもとにかく今かかっている現場を

終わらせない事には元請け会社にも、ましてや

施主のご家族にも迷惑がかかると思い

指の痛みに耐えながら何とか

終わらせる事が出来ました。

あれから数年経ち、

殺人並みの下請け仕事から脱皮し、

自分で直接お客様と接し、

指を見られるのが恥ずかしい感がありましたが

ある人からこう言われました、

『逆に箔がついてカッコいいですよ!その生き方

真似できませんよ』

そう言われた時、に確信しました、

『俺の生き方は間違ってない』と(自分で言うのもなんですが)

そうこうして現在にいたりますが、この仕事に就いて

いろんな方との出会いがありました。

泣いたり笑ったり

ときにはガツンと怒られたり・・・

仕事を通して本当に充実した人生を送ることができていることに感謝、感謝です。

これを読んで下さった方にお会いできる日を楽しみにしています。

熱血大工 板谷 昭人より

 

MENUX